その
  
歴史が動けば

 このコーナーでは、もしもあの時あのように歴史が動いていれば、その後どうなっていただろうか…といった歴史のIFについて検討しています。歴史にIFは禁句とする方もおられますが、やはりそこはどうしても気になってしまうのが人情というもの。あなたも歴史の“もしも”について思いを巡らせてみませんか?

その@ “もしも”曹操が孔明の船団に火矢を射掛ければ…
 赤壁の戦いの折、孔明は周瑜の依頼を受けて十万本の矢を作成することになりました。周瑜は「孔明の大ぼら吹きめ」と内心呵呵大笑していました。これを仕損じれば、孔明に厳罰を与える大義名分ができるからです。しかし孔明は藁人形を乗せた船に乗って敵陣に向かい、見事十万本の矢を頂戴してきたのです。周瑜はこれに驚愕し、孔明の知謀をますます恐れたということです。

 が、しかしですよ。もしもここで曹操がこの計に気付き、孔明の船団に火矢を射掛けていたらどうなっていたのでしょう?私の予測だと、いや誰が予測したって火矢により船は炎上し、撃沈してしまいます。一生懸命作った藁人形も全焼です。孔明自身もまともな姿では周瑜の本営に帰ってこれないでしょう。運良く生き延びられても、この大失態の責任を問われ斬刑に処され終了。哀れですね。でもあの孔明様のことだから、火矢を射掛けられても対処できる策を考えていたのでしょうかねぇ…?

そのA “もしも”慶童が曹操暗殺計画を密告しなければ…
 董承は献帝から渡された曹操誅殺の密詔に悩まされていました。曹操を打ち倒すべく連判状に名を連ねた劉備や馬騰は許都にいない。いかにして曹操を倒せばいいのか。董承は悩みすぎて頭痛を催し、医者の吉平に診察してもらいます。しかし吉平は頭痛のもとは何か別のものにあると判断。遂に曹操暗殺計画を知らされたのでした。吉平はこれに賛同し、連判状に名を連ねます。曹操の持病も診る吉平であれば、曹操を毒薬するなど容易です。しかし、ここで董承の使用人であった慶童(この人、全部話聞いてます)が、董承の妾と付き合っていることが発覚。激怒した董承は慶童に棒罰を加えたのです。これに怒った慶童は曹操にこの暗殺計画を伝えてしまい、吉平も董承も皆殺しになったのです。

 ここで、もしも董承が慶童に棒罰を与えず、そのまま静観していたらどうなっていたのでしょう?ここでは一応慶童は曹操に計画を伝えなかったと仮定しましょう。とすれば、曹操暗殺計画は順調に進んだのでしょうか?さて、曹操が頭痛を催します。吉平を呼びます。ここまでは順調。で、毒の入った薬を飲みます?…う〜む、こんなうまくいくかは疑問ですね。いくらなんでも毒薬が入っていたら、あの曹操のこと、臭いや色から異変を感じ取るのではないでしょうか。「いつもと違うぞ?何なんこれ?」と聞くでしょう。毒見をする侍従はいないだろうか。信用ある典医といえど、完全に信じきるのは危険…曹操ならばそれを十分理解しているはず。遅かれ早かれ計画は露見したと思われます。

たいがあ氏の見解
A、
 密告がなくても失敗に終わっていた。三国志演義もこの暗殺計画に関しては結構冷ややかです。曹操の描き方にしても、虚報、真実どちらであってもいいように巧みにアレンジしている節がうかがわれます。曹操自体常に自分が命を狙われていることは承知でしょうから、例え身分の低い人間の密告であろうともないがしろにしません。また「いつもと違うぞ」、こういったことには人一倍敏感なのです。なので、何もいわれなくても曹操は見抜いたことであろうと確信します。また曹操は人の表情を読むのが得意であったということと、役人の経験上、犯罪者を見抜く勘は鋭かったものと思います。三国志演義ではあえて稚拙で性急な暗殺計画をさらしながら、後々の孔明の緻密で念のいった知略というものを引き立てる伏線にしたのだと考えます。(8/11/05)

…三国志前半の稚拙な策謀が、物語後半の孔明による神算鬼謀に対比され、これを際立たせているという解釈がとても面白いです。(伊籍)

そのB “もしも”[广龍]統が落鳳坡で戦没しなかったら…
 劉備の蜀侵攻の際、軍師として付き従った大賢者・鳳雛こと[广龍]統。しかし、進軍の途中張任の伏兵に襲われ、落鳳坡で命を落としてしまいます。劉備も孔明も[广龍]統の死を嘆き、その亡骸を手厚く葬りました。

 しかし、もしこの天才軍師・[广龍]統が生きていたならば、その後の歴史はどうなっていたのでしょう?結論からいうと、蜀の軍勢が中原に乗り出すチャンスは広がったでしょう。というのも、蜀を劉備と[广龍]統が、荊州を孔明と関羽らが守るという鉄壁の布陣が完成するからです。関羽は呂蒙・陸遜の策略にかかって命を落としましたが、もし蜀の地を[广龍]統の知略で制覇できれば、孔明は関羽とともに荊州を守ることができ、関羽は生き長らえたでしょう。張飛の死も防げたでしょう。夷陵の大敗もなかったかもしれない。逆に孔明が関羽に言い残した「呉と手を組んで魏を攻める戦略」が実現したかもしれません。当然蜀方面からは劉備と[广龍]統が北伐を開始するので、これにより多面的な魏侵攻が可能となるのです。そう考えると、兎にも角にも[广龍]統の死は惜しいものでしたね。

そのC “もしも”関羽が許田の巻狩で曹操を襲っていたら…
 曹操は許田の巻狩で、献帝が用いるはずの矢を放って獲物を仕留め、群衆から拍手を受ける帝の前に立ち、自らの権威を誇示しました。この非礼な態度に関羽は激怒し、曹操に斬りかかろうとしましたが、劉備がそれを制止し、何事もなく巻狩は終わりました。

 ところで、もし劉備の制止が今少し遅れ、関羽が曹操に斬りかかっていたらどうなっていたのでしょう?いくら関羽とはいえ、ましてや帝が近くにいる状況で曹操を殺せたでしょうか。また曹操に手傷を負わせれば、関羽だって無事では済みません。曹操の護衛が一斉に襲ってくるでしょう。運良くその場から立ち去れたとしても、帝の前で剣を抜いたとして、関羽ならびにその主君・劉備は逆賊扱い。曹操に劉備を討つ大義名分を与えてしまい、劉備は窮地に立たされることになっていたでしょう。劉備の制止が間に合って、よかったよかった。

そのD “もしも”関羽が華容で曹操を捕らえていれば…
 孔明に誓紙まで書かされ華容に赴いた関羽。過去の恩義を理由に曹操を逃がせば、いかなる厳罰も甘んじて受ける…関羽はこう約束したのです。しかしいざ曹操と向き合うと、その凄惨な姿に関羽は目をそむけてしまいます。あの曹操が助命を嘆願している、この何とも哀れな姿に、関羽の心は痛みました。そして孔明との約束がありながら、曹操を見逃してしまったのです。何というイイ男!これぞ天下の美髯公!と声を上げたくなるこのシーン。

 けれども、もし関羽が情に流されることなく曹操を捕らえていれば、一体どうなっていたのでしょう?まず驚くのは孔明ですよ。関羽が曹操を見逃すであろうと予測して華容へ向かわせたものですから、捕らわれた曹操を見て「まじすか。この結果は読めてなかった。俺の読みは九分九厘あたるんだぜ?」と呟くでしょう。孔明としては、ここで曹操を捕らえて斬れば、後を継いだ曹丕が弔い合戦と号令し、士気高々に再戦を挑んでくると予測していたので、そのリスクも考慮して曹操を見逃してもよいと考えたのでしょう。しかし曹操を捕らえた以上、もはや解放することもできません。孔明はやむなく曹操を斬るでしょう。怒り狂った曹丕が軍勢を立て直して荊州へなだれ込んだら、さすがの孔明も焦るかもしれませんね。関羽が忠義の士で助かったというわけです。

そのE “もしも”孔明の延命が成功していたら…
 五丈原での延命の祈祷が失敗し、遂に命を落としてしまった孔明。水鏡先生の言った通り、孔明は時を得ることができなかったのでした。大切な蝋燭の灯を消してしまったのは、皮肉にも孔明が反骨の相ありと警戒していた魏延でした。あと少しで祈祷は成功したというのに…魏延てめぇ絶対わざと消しただろ…そんな悔しい気持ちになるこの場面。

 しかし、この時もし魏延が蝋燭の灯を消さずに、延命の祈祷が成功していたらどうなっていたでしょう?北伐は成功したでしょうか?孔明は生き長らえるかもしれませんが、それで状況が一変したわけではありません。司馬懿は健在です。孔明の北伐を阻止した最大の原因、それは司馬懿が徹底して孔明との戦闘を避けたことにあります。であれば、孔明がその後何年生きようとも、司馬懿が山のように動かず、交戦の意志を示さない限り孔明の策も活きず、やはり宿敵・魏を滅ぼすことは難しかったといわざるを得ないでしょう。加えて魏は今後の活躍が期待できる若きエースを抱えているのに対し、蜀は人材枯渇が半端ない。度重なる出兵で蜀の国力も疲弊し、あとはじりじりと姜維の時と同じような状況に追い込まれ…孔明といえど北伐は果たせぬ夢で終わりそうです。嗚呼、やはり国は滅ぶ運命にあったということでしょうか?崔州平の諦観(孔明に期待しても、天下は乱れる運命にあるから仕方ないですよ的発言)もあながち間違いではなかったようですねぇ…